またまた起こる教師の暴力
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2019-05-28
Kuma’s conditioning diary
おはようございます。
熊野です。
今日の大阪は雨が降り昨日までの暑さも少し和らぐ1日になりそうですね。
さて今朝ニュースを見ていると尼崎の中学でまた教師による体罰的指導が行われたとありました。
少し前に市立尼崎高校で体罰が問題になり、尼崎の教育委員会はこのような事を無くすと宣言したばかりでした。
そのさだかに起きた今回の問題は呆れてしまいます。
これは完全に当事者意識が欠落しているとしか考えられないですね、外で起きている事で私には関係ないと思っているようにしか考えられません。
体罰について私は経験してきた部類の人間ですから言えることが一つあります。
暴力によって生まれる恐怖による制圧はその場かぎりであるという事です。
たしかに一見恐怖で制圧した場合は良くなったかのように感じます。
しかしその恐怖から逃れた時、その恐怖が無くなった時に解き放たれたようにまた同じことをする場合がほとんどです。
それでは完全に意味がないと思っています。
やってはいけない事というのは沢山ありますしそこを教育者は教えてあげなければいけません。
事を起こした本人には気づかせてあげなければなりません。
叱る事は大切だとは感じますが、暴力は別です。
叱る際に暴力を使うという事は教育者として指導を放棄した時だと私は考えます。
なぜなら暴力は簡単だからです。
明らかに力で勝る大人が子供に対し力でねじ伏せる事は考えなくても出来るからです。
絶対にかなわない腕力を振るうだけの事ですから誰でもできます。
それではいけないと思います。
力が勝らないライオンやゾウに同じ教育をするとなればその方法を使いますか?
絶対に使わないと思います。
どうやったら聞いてくれるのか、エサを与えるのか、態度で示すのか、沢山考えると思います。
極端な話になりますが大切な事はどうすれば事を起こしてくれるのかという事を考えるという事だと思います。
教育や指導は根気が大切だと思います。
私たち大人も元々全てできたわけではなく、沢山経験をした結果今があります。
それでも完璧な人間など存在しないと思います。
ただ闇雲に怒りをぶつけ、暴力を振るい恐怖を生み出すだけの指導が今後教育現場からなくなる事を願っています。
それではまた明日。